今日ものんびりと ジパング














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血は赤いが生命の尊厳は同じか

はいさい!今週も疲れたツバサさー。
お疲れなの(-ω-)
窓際の少女 今日ものんびりと 2015/02/20
今日は少しだけ進めるのらー(/・ω・)/
髪を少し塗ってみたんだけど、あんまり色が出てないね。
昨日みたいに濃く出過ぎるのも困るから、まだこっちの方がいいかな(´∀`;)
続きはまた明日描いて行こうと思う。

ちょっとした独り言なんだけど、
人の血は誰しも赤いが、同じく血が赤いからと言って生命の尊厳もまた同じか、とね。
「かわぐちかいじ氏」が描いていたジパングという漫画があってね、
海上自衛隊のイージス艦「みらい」が、
第二次世界大戦中にタイムスリップするという内容なのだけど、
その作中でガダルカナル島の時に角松二佐と草加少佐の間でこんな会話があってね。
角松
「俺達にとって人間の流す血に違いはない!全て赤いんだよ!」


草加
「生命の尊厳に国家民族の違いはない、その通りです。
角松二佐。私はあなたの言葉に救われた思いがしている」


角松
「なに?」


草加
「60年後の日本人、しかも戦闘艦の指揮官たる人間がその考えを持つことを私は誇りに思う。
だが、それは平時のモラルです。残念ながら今は戦時なのだ。
悲しむべきことに今、日本は軍民の区別ない総力戦を戦っている」

本当はもっと長く話しているんだけど、取り敢えずここまでね。
ちなみにこの時のシーンではガダルカナル島に上陸した米海兵隊に、
史実ではなかった艦砲射撃を以て、
米海兵隊を殲滅しようかという展開になろうとしているシーンなんだけど、
例え上陸作戦の阻止であっても、これは一方的な虐殺であると主張する角松に、
なおも譲ろうとしない草加の会話なのね。

戦時であればこそ例え一方的な虐殺であろうとも、自分なら艦砲射撃を実施すべきだと思う。
モラルを持っている人間は尊敬に値するという点に異論はないが、
やはり平時のモラルを戦時に持ち出すべきではない。
「みらい」がタイムスリップしている時点で「みらい」乗員を取り巻く環境は、
現代の環境やモラルが通じるものではなく、第二次世界大戦時の環境になっている。
確かに史実では死ななかった米兵が死ぬ訳だけど、
歴史を変えなければ、史実と同じく大勢の日本人が死ぬのもまた事実になってしまう。
日本各地の空襲や原子力爆弾の投下がそれだ。
確かに生命に国家民族の違いはないが、
後々の自国の国民が犠牲になるのが分かっていて、
それでもなお敵兵が死ぬのを阻止するのが本当に正しいのか。

何も国粋主義や選民意識からの事でないけど、
命の尊厳に違いはなくとも、天秤にかけなければいけない時が来た時に、
何も選ばずにただ見てみぬ振りをしようというのか。
選ばなければいけない時が来たとすれば、迷わずに自国の国民や国家を優先すべきだ。
今回のこれは作中の出来事ではあるが、
敵味方全てを助けたり、それで幸せな結末を迎えられるのはフィクションの中だけの事であって、
実際には常に選択し決断しなければならない。
どちらが大事なのか決められないのであれば、全てを失う。
命の価値は同じであっても、自国の民を犠牲にしてまでそれは守るに値するモラルなのか。
奪い殺しにやってくる人間を殺すのがそんなにいけない事なのか。

生命の価値も必ずにも同じではないし、世界には絶対に死ぬべき人間はいると、
それが正しい事だと僕は思っているが、
自分の大切な人や周りまでも犠牲にして守らなければならないものとはいったい何なのか。
一度考えてみるといい、自分の親や兄弟、恋人や子供が惨たらしく殺される様を。
何も戦争に限った話ではないが、殺人犯などに殺されると分かっていて、
その殺しに来る敵を殺すのがそんなにいけない事だとはどうしても思えない。

とまあ、色々と書いてきたけど育ってきた環境や時代が全く違うんだから、
角松と草加の意見が違うのは仕方ない事だとは思うんだけどね。
個人的には草加の意見に賛成なんだけどね。
日本が戦争をしていない現代と、第二次世界大戦中の日本だと、
同じ日本であっても環境は全く違うし、環境が違えば考え方も変わってくるんだから。

コメントのお返事はまたあとで~(/・ω・)/
読んで頂きありがとうございました!

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