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いくら周りに綺麗なモノを揃えようとも、もう汚れているのは変わらない

はいさい!支離滅裂に行くツバサさー。
うふふヾ(゜∀。)ノシ

自分だけが汚れていないというのは間違いだろう。
僕だって阿漕な事はしてきたつもりだ。
「つもりだ」などと書いてしまうのがもうダメなんだろう。
偽りは止めよう、阿漕な事はしてきたのだから。

人を傷付けたし、気に入らないモノは捨てた。
現実でもネットでもちゃんと人がいる、それは分かっているつもりだ。
それでも、いらないと思えば捨てた。
でも、自分が捨てられるのは悲しい。
傷付けても「みんなやっているから」そう思ったが、
自分が傷付けられるのは嫌だ。
結局のところは自分の事しか考えていない。
そこに「相手」は存在せずに、自分しか見ていない。

なんと身勝手な事か。
いくら綺麗なモノを揃えようとも、もう汚れているのだから無駄だ。
生きるとは汚れる事か。
生まれてからすぐに死ななければ汚れるのだろうか。
そもそも、綺麗な状態とはいったいなんだろうか。
聖人君子のように振る舞う事か、愛に満ちている者の事か。

言い訳は沢山ある。
「性格の不一致」、「傷付けられたから」、「どうでもいいから」
結局はどこかでそれを容認している僕がいる。
「理由があるから仕方がない」、そう仕方がないのだと。
それでも、傷付けて傷付いて生きる意味があるのか。

これも自己弁護か。
後悔している、ちゃんと悩んでいると、
誰でもなく自分自身に見せつけたいのかもしれない。
後悔できるだけまだ他の人よりもマシ、まるで妄言ではないか。
後悔している?本当に?
自分で自分の中をよく見せたいからじゃなくて?
単に前に進む?それとも切り捨てて?
自分が嫌いにならないように言い訳をしているだけじゃなくて?
自分が嫌いというが、
本当に嫌いなら死をもって全て終わらせているのではないか?

生きるのも中途半端、死にたいのも中途半端。
生きるのは難しくても、死ねば誠になる。
死にたいという思いも突き通せば誠になる。

支離滅裂に書くの好きよ(-∀-)
読んで頂きありがとうございました!

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テーマ:思うことをつれづれに / ジャンル:心と身体
関連タグ:メンタルなお話 死にたい 支離滅裂 偽り